ー「蛍」は、現代の色々な逆風に立ち向かう強さやそれを惑わせる存在を感じましたが、歌詞の中に「こっちの水は甘いよ」という昔から歌われてきた蛍の曲を連想させるワードが入っていますね。これは、このワードから曲を書き出したのですか?それとも雑踏の人ごみを蛍に見立てた結果、このワードが出てきたのですか?
どちらかというと、後者ですね。「蛍」というモチーフはあったんですが、僕は秋田の田舎の方で育ってきて、蛍も子供の頃は沢山見てきました。それと雑踏の風景というか、自分が最近よく見る都会の風景や、テレビで観る街の雰囲気、それを蛍という生き物の習性とドッキングさせたら面白いんじゃないかと考えて、そこから始まりました。
ー それは、都会の雑踏を見て「蛍っぽい」と感じたということですか?
うーん、どっちが先なんだろう。もしかしたら、蛍という虫から人を連想したという方が強いかもしれません。蛍がお尻を光らせるのって、何故か知っています?
ー いや、お恥ずかしながら知らないです。
あれは、味方を探す為だったり、自分の居場所を知らせる為らしいんですよ。子供の頃に見た蛍は本当に星空が地面に広がっているみたいに沢山いて、そこには甘い水、つまり綺麗な水があってそこに群がって一匹一匹が光り合う。「私はここに居るよ」「僕はここにいるぜ」って。それによく似た風景を見たことがあると思った時、それは人間だったんです。都会という甘い水に集まってきた人達が、「自分はこの街で、歌でやっていくんだ」「私はこの仕事で頑張る」など色々な自分の才能を光にして仲間を呼ぼうとして存在証明をしている。だけど、その状態をちょっと傍目から観た別の存在が「そっちでいいのか?こっちの水の方が甘いぞ」とか言っている。そういうのが蛍のそれにすごく類似しているように感じたんです。それで、人を蛍に例えて歌ってみたら、何か見えてくるんじゃないかと思って作りました。
ー 実際歌ってみて、高橋さん自身がこの曲から見えてきたことは何ですか?
すごくワクワクしながら歌っていると同時に、虚しさというか孤独というか、自分も蛍に例えられた人間の一人だと思っているので、こうやって僕は歌で「こういうことだと思うんだよな」とか「こういう風な気持ちになることない?」って、周りに訴えても仲間が見当たらないような気がして、目の前が暗闇のように見えることが今でもありますし。かと思えば、似たような人たちが居るような気もするし。そういう自分の現状も改めてこの曲を歌うことで、考えさせられるというか、感じながら歌っています。
ー 高橋さんの歌詞にはそういうリアルな風景や現代社会の闇のようなものが生々しいほどに埋め込まれていて、「雑踏の片隅で」でも、まさにそのことを如実に歌っていますね。
まず、”良いこと”と”悪いこと”を作りたくなかったんです。何が正解で誰が悪で誰が正義でという話ではないところで歌を書きたかった。その為にモチーフをあまり特殊なことにしたくなかったんです。でも、だからと言ってあまりに日常的すぎると違う気がして。「雑踏の片隅で」で大前提に置いたテーマとしてあったのもまさにそこなんです。何かひとつの出来事が起こった後、例えばニュースであれば「今日、正午、渋谷でこういうことがありました。誰々が負傷しましたが命に別状はありません。」はい終わり。「次のニュースです」っていう感じで、もう次にはハッピーなニュースが流れていて、そこには加害者と被害者という名前を付けられた人だけが残って、誰が悪で、誰が被害者で、それを捕まえた警察が正義でということだけで終わっている気がするんです。
ー 確かにそうですね。
でも、実際にそこに居合わせたり、その当事者や被害者、関係者になっていたら、そういう風に簡単にざっくり説明が出来ないことって沢山あると思うんですよ。そこに至るまでに、もの凄く悲しい出来事があったかもしれないし、辛い経験の後の出来事かもしれない。それに居合わせた人の中で、何も関係はなくてもショックを受けた人がいたかもしれない。かと思えば、こんなこと見れた、ラッキーと思って「大変なこと見ちゃったなう」って、笑顔マーク付きでつぶやく人もいるかもしれない。でもそこに正義とか悪というものを持っていきたくはなかった。こういう人とこういう人とこういう人達がいたというだけの歌というか、そこに愛があったのか、憎しみがあったのか、疑いがあったのか、信じる心があったのか、何かはあった筈なんだけれど、どれだと思う?という歌にしたかったんです。
ー 悪や善を持たないというのは、すごく難しいことでもありますよね。
そうですね。だから切り取り方をひとつ間違えると、すごく偏ったメッセージの歌になってしまうと思ったので、そこはすごく気をつけながら作りました。
ー この曲のサウンド面ですが、イントロの部分にノイズが入っていますよね。
はい。今回、割と曲にエフェクトをかけるようなことを何曲かやってみたんですが、雑踏というもののイメージや、その曲の世界観に対して、聴いてくれる人がよりフラットになってくれて、押し付けがましくなければいいと考えたんです。まず最初に不思議な音というか「ん?」というところから入ると、曲がよりポップに聴こえるように思って…。
ー ポップに?
あまりにも「こうだったんだよ!!」っていう曲になるよりは、何処かでそれが歌われているようなニュアンスにしたかったんです。
ー なるほど。
それで楽曲としても作品としても成立させる為にピアノのリフを少し昔のラジオのようにしようというアイデアが出ました。とある出来事が起こったんだという客観的視点が持てればいいという、本当に微妙なラインなんですけどね。
ー それは高橋さんならではのフラット感と立体感の表現方法ですね。かと思えば、「気ままラブソング」では、結構新しいイメージを感じました。これはいつ頃作った楽曲なんですか?
かなり最近です。元になっている曲は路上ライブをしていた時期のもので、メロディラインや微妙なフレーズなど当時のまま使った部分もあるんですが、歌わないで取っておいた曲です。路上ライブでもごくたまに歌ったことはあったんですが、音源化はせずにいて、それを軸としてしっかりと、ここ最近で作り直しました。
ー ピアノではなくキーボードの音を使っていたり、歌詞の楽観さというのも面白いです。”難しい話が好きじゃない”とか、”それより早く遊びに出かけよう”とか、すごく意外性もあって。
遊び心を入れてみました。『リアルタイム・シンガーソングライター』では出せなかった表情です。それに案外僕の中でそういう節があるんですよ(笑)。でも皆さんにお見せしている部分ではそういう適当でヘラヘラした部分があまりなくて。どちらかというと「蛍」や「雑踏の片隅で」、「誰がために鐘は鳴る」の方がかなりのウエイトを占めている気がするんです、自分の歌ってきたこととして。
ー そう感じました。
でもその次にこの「気ままラブソング 」が来るというのは、このアルバムの中で、かなりのチャレンジであり、すごくやりたかったことであります。「雑踏の片隅で」で、”愛し合いながら憎しみ合い“、”信じあえる瞳で疑い”みたいなことを歌った後で、「正直なこと言うと、あまり今の話題に興味がありません」みたいな、話をあんまり聞いていませんでしたっていうね(笑)。そういう自分がいるんですよね。「どっちなんだよ、お前は!」という高橋優の立ち位置というか。でもどっちも間違いなく自分なのでそれを大胆に、この「気ままラブソング」や後半に出てくる「蓋」や「絶頂は今」で表現したいと思いました。