10月26日リリースの「誰もいない台所」では、今迄前向きにリスナーの背中を押してきた高橋優とは表情を変えている。自分の中で終わってしまった恋愛に対して、ひきずった気持ちと後悔をさらけ出し、露にしている。カップリングの「想いよ、届け」に関しても、サウンドや歌詞の表現は違えど、自分をさらけ出している。今回、そういう楽曲へ託した想いを聞いてみた。
ー 高橋優さんといえば、葛藤しながらもそこに光を見いだすような楽曲が多いですが、今作『誰もいない台所』はかなり内向きな心情を歌っていますね。
はい。これは6年位前の曲です。 北海道でストリートをしていた時の楽曲なんですが、当時歌詞に載せているようなことをそのまま考えていたと思います。それは恋愛に限らず、自分という人間はそういう経験をよく繰り返して、また寂しい気持ちになったりしょげたりしているじゃないか。独りぼっちになってしまったという気持ちになることが多くて。
ー それは具体的にどういうことですか?
一緒にいるうちに言えばいいものを、いなくなってから「あぁ、これ喋っておけばよかった」ということが多いんです。例えば「ありがとう」とか。心の奥底から言いたい言葉があるのに、カッコつけているのか強がっているのか「幸せになれ」なんて、全然心にもないような薄っぺらな言葉ばかりが出てきちゃって結局終わってしまう。それで逢えなくなってから「あんなことが言いたかったわけじゃなかったんだよな…」って思いながら、結局のところ相手を傷つけてしまったんではないか・・・という。
「幸せになれ」っていう言葉って、頑張れという言葉にも通じて励ましの言葉のようにも聴こえますけど、シチュエーションによってはすごく無責任な言葉じゃないですか。すごく極端な話ですが、人の手を借りないと生きることが出来ない人がいるとしたら、今迄はそれを協力しあったり、自分が助けることによって成立していたのに、急にそれを放棄して勝手に「幸せになれよ」って言ってもね。
ー なるほど。
責任感を感じてるのに、責任を負おうとしないというか。ちょっと大げさですけどね。人間関係において、割と自分がそう思ってしまうことが多かったんです。もっとやれることがあったんじゃないかとか、言ってあげられることがあったんじゃないかって。
原因はどうあれ、それを途中でやめてしまうからこそ寂しさが残ったり。過ぎ去ってしまったものに対して、今更言ってもしょうがないのに「幸せになれ」なんて、カッコつけちゃったりして…でも全然カッコ良くないなぁ…っていう想いを今回の曲では込めたかったです。
ー 恋愛以外にもそういう気持ちになる瞬間ってありますよね。
そうですね。友達の間でも会いたいけど会えないとなれば、やっぱり会いたいし、家族だとしても、喧嘩して会えなくなる瞬間にこういう想いになることはあると思うんです。だから今回はラブソングではあるけれど、気持ちの面では決してそこに限定はしていないです。
ー 当時この歌詞を書いた時の高橋さんは、伝えずに後悔したことが多かったというお話ですが、現在はどうですか?
過去に学んだ部分はありますが、似たようなものですね(苦笑)
ー この曲は楽曲がまだ全部仕上がっていなかったとか。
はい。2番がなかったんです。
ー では今回シングルを出すために新たに書いたという感じですか?
タイミング的にはそうなんですが、自分の中でこの曲をシングルで出すなら、もうちょっときちんとした形にしたいという想いがどこかにあったんです。それで心残りがない状態にしようと思って2番を作り始めたという感じです。
ー ということは、6年位前の想いと今の想いが混在しているんですよね。
ええ。
ー その場合、新たに書き足した歌詞というのは、今の気持ちそのままという感じですか?それとも過去の自分に戻っている感じですか?
できれば「今」を書きたいと思いました。戻りたいと思っても、厳密に言えば過去には戻れないじゃないですか。だからその時、こういう気持ちで書いたのかなというのを客観的に観て、そういう風な歌を書きたかったんだろうけど、6年位経って今に想うエピソードというか、自分が経験したことを考えると、現状はこういう感じになっているだろうなとか、そこからも道は続いていて、改めて今、この視点から観る出来事を見つめて書いた2番です。だからちょっと視点が変わっているんですよ、個人的には。