ー うんうん、絶対欲しい!! 今回のアルバムで伝えたかったことは悲しみと、その先の風景ということですが、その先の風景に見いだしたいものは何でしょうか。
根源的な悲しみを歌って、それでも僕らはまだ美しいかというところです。だから「ティン・パン・アレイ」で歌ったことを逆から言っているだけなんですけどね。” 僕らは絶対に離ればなれになることはないよ” というのを “ 絶対離ればなれになるのに、離れないでいようとしているよ” ということ。その両方から歌っておかないと僕は気がすまない性格というか。一方だけから歌っていると、何か誤解を生むような気持ちになってしまうんです。結局はもう一方から見ても美しくて、最終的に、僕らは美しいんだということだけで、美しくないとは一度も言ったことがなくて、その言い方を色々変えているだけなんです。「僕らはこんなに強くて美しい」というか「弱いのにこんなに虚勢をはる姿が美しい」というかの違い。
ー でもそこは一方に偏らず、常にバランスを保っていたいと。
そうです。一方からだけ見たり、そこに留まるというのは僕は怖いんです。ずっとひとつの同じイメージの中で何かをやっていて、ふとそれに気が付いた時の危機感で突然違うことを始める人っていますが、そういう時は周囲がめっちゃ戸惑うじゃないですか。「あの人最近おかしくない?」って(笑)
ー はいはい(笑)
だから、そうなりたくないんです。常におかしくありたいです(笑)「あぁ、またあの人おかしなことを言い出した。でもいつものことだから…」の方が安心するじゃないですか。ずっと懇々と真面目な人ほどコワいというか。
ー 変な崩れ方しますよね。
そうそうそう! 僕はそれの音楽ヴァージョンです(笑)
ー そこを考えると、インディーズの頃のようなギター歪ませた激しいバンドサウンドから、今のような美しい世界に変化していったのも、一方だけを向いていたくないという見解からなんですか?
多分、今インディーズの頃のCDをまた聴きかえしてもらったら、実はそんなに変わってはいないと思っているんです。昔の方が荒く聴こえるならば、それは演奏力がなかったということですね(笑)
ー 出音は関係ないと。
そう。ちょっと上手になったというのと、環境がよくなったということですね。確かに今までやっていなかったことがやりたくなったというのはあります。別に万年うるさい音楽をやろうと思えば出来るんですが、それだったら僕、バイトしたり就職したりするな。同じことをずっと繰り返すのが嫌だし、せっかく好きでやっているのでそうしています。会社に就職したら自分の意思で部署をコロコロ変更することってできないじゃないですか。でもバンドならそれが出来るわけで、例えば次のアルバムで僕が全曲ドラムを叩いていてもいいわけだし(笑)
ー なるほど。今、一番追求している点は何かありますか?
むっちゃピントがずれている答えかもしれないけど、人間として完成されること(笑)それだけです。いい人になること。それだけです!
ー 今はいい人じゃないの?
大分いい人にはなってきたと思いますが、もう少し遅刻しないとか、約束を守るとか、忘れ物しないとか、 髪切るとか、 靴を履くとか!(笑)
ー あははは!
課題はまだまだありますね。例えば僕がテレビに出たいとか、武道館でライヴをやりたいとか有名になりたいとかの夢があって、それを実現したいから僕が頑張って三代目J Soul Brothersのようなダンス&ヴォーカルグループの一員になったとしたらどう思います?
ー う〜ん、志磨遼平というミュージシャンの趣味趣向を考えると、明らかに方向が違いますね。
そうですよね。僕はどんなに頑張ったってああいう風にはなれないし、たとえそれでMステとか出ても気色悪いでしょ。この趣味なのに。これは決してああいう人達をどうこう言っているということではなく、あくまでもこの趣味の僕がやったらと想像した場合、やっぱり違いますよね。ずっと浅川マキが好きとか言っていた男が自分のやりたいことをやらずに、セルアウトすることは気色よくない。…が、しかしある程度の評価となにがしかの勝利の為にはどうしたらいいのか?と考えた時に、自分がいいと思えばいいとか、一人でも聴いてくれる人がいれば歌い続けますというのも気色よくない。気色いいか悪いかでしか考えていないんですけど、そこから思考を追求していくと、どんどんささやかになっていくんですよ。
ー ささやか?
最終的に自分が生半可な存在ではなく、その人にとって大切な存在になるとか。そうすると音楽っていらなくなってくると思うんです。今回の震災がまさにそうだと思うんですが、大切な人が被害をうけた時、突如そこでギターを弾き始めるのは正常じゃないでしょ。まずはそれより助けるでしょ。好きな彼女が泣いている時に、ギターを持って「僕には大切な彼女がいて、その彼女が泣いているのが耐えられなくて、それを歌にしました」って、エピソードとして一瞬聞き流しそうですが、まずは助けたんかい!っていうところでしょ。それにそういうことは人に言うことじゃないし。彼女からすれば「なんやねん!」ってなる。これも音楽自体を否定しているわけではなく、状況によってどちらを判断した方が気色いいか悪いかって、実は正解が出ているんですよね。今回で言えば、歌うより助ける方が気色いい。だから多分一番気色いいことを追求していきたいですね。
ー その上での勝利、成功のようなものとはどういうことですか?
こうやって今お話したことが記事になって、それを読んだ誰かが感銘をうけてCDを手にとってくれて喜ぶということが、ある程度の成功に似ているんです。気色いいし、何かに結びついてる。その上でテレビに出てみんなが「うわー!」ってなっている感じっていいですよね。
ー それが今回の武道館に繋がっているのかもしれないですね。
そうですね。武道館というものは特別だし頑張りたいです。その上で、毛皮のマリーズというものに関わると何かいいぜ!というバンドでいたいです。些細ですが、コンサートの誘導や整備のスタッフの方が「昨日、セット搬入で毛皮のマリーズのメンバーを見たけど、めっちゃ感じ悪かった!」っていうのじゃなくて「何か毛皮のマリーズってめっちゃ腰低かったよ。おはよーございますって挨拶されちゃった」の方がいい(笑)「曲は知らんけど、何かいいな。毛皮のマリーズって」っていうのって、いいじゃないですか。
ー 確かに。
曲というのは曖昧なんです。例えば “ダンデライオン” が嫌いって言われても、それはその人の好みの問題だから、どうしようもないし。だから僕らの音楽を知らなかったり、聴いても感動しなかったとしても、一緒に話をした時に好印象を持ってもらえた方が気色いい!「爽やかな印象の青年だったね。靴履いてなかったけど」って(笑)
ー あはは、今日もサンダルだし!
だからなるべく靴は履きたいな。髪もきちんとこざっぱりしてね。
ー でも嫌だな、そんな志磨君見たくない!
<一同爆笑>
ー 最後にmFound読者のみなさんに一言お願いします。
毛皮のマリーズというのは、僕の一個の思想なんです。だから、俺たちのCD買ってくれよ!とかライヴ来てくれよ!とは思うけど、それよりさっき言ったような、きちんと挨拶をする的な方が僕にとって毛皮のマリーズっぽいんです。だから、言い方は難しいですが、些細なことをいつもしていますが毛皮のマリーズを忘れないでね。
ー ありがとうございます。
取材・文/まさやん
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応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。
※上記未記入の場合無効となりますのでご注意ください。
※発表は発送をもって代えさせていただきます。
応募締切:2011年9月18日(日)24:00
たくさんのご応募お待ちしております!
毛皮のマリーズ 公式HP:http://www.kegawanomaries.jp/home.html
日本コロムビア 毛皮のマリーズ特設サイト:http://columbia.jp/kegawanomaries/