2010年にシングル『ボクキミビリーバー』をリリースした後、昨年2011年は「ライヴの年」として作品のリリースではなく、ライヴを選択したゴーストノート。人と人との繋がりを大切にし、そういう想いが彼らの楽曲そのものになっている。昨年全国ツアーとして約150本ものライヴをこなし、そこで生まれた今のゴーストノートのサウンドが約1年半ぶりに待望のミニアルバムという形で発表される。このアルバムに込めた想いや、昨年のツアーで感じたことなどを久々の再会の中、語ってもらった。
ー ご無沙汰しています!
大平:すごくご無沙汰しちゃってすみません(笑)
ー いえいえ(笑)。昨年は<ゴーストノートきもちはつたわるツアー2011>で、約150本ものライヴをされたんですよね。
大平:やりました!でも昨年そうやって150本回ったということは素直に楽しかったです。僕らもインディーズの時代に沢山ライヴをやっているバンドだったので、一回原点に戻って全国ツアーを回ろうということになりました。まぁそれだけ回るのも久々だったので、いい経験ができました。
ー どうして原点に戻ろうと思ったんですか?
大平:デビューして4年目を迎えた時に、ゴーストノートはこれから、どうあるべきかというのを考えた時に、僕ら3人としてはとにかくライヴをやりたかったんです。
ー それは3人とも同じ意見だった?
中村:はい
佐藤:すぐ一致しました。
大平:それをスタッフの人も理解してくれて150本ものライヴをすることになりましたが、まさかここまで沢山やるとは自分達自身も思っていなかったです(笑)。
ー そうなんだ(笑)。
大平:1月の中旬にそういう話し合いをして、後半からすぐブッキング、2月の第2週目位から、もうやり始めていました。
中村:それをがむしゃらにやっていたら、自然と本数がそうなったという感じで、始めから150本という目標があったわけではなかったんですよ。
大平:まぁ現実的には難しかったんですけど、むしろ目標は200本位やるか!っていう感じでした。
ー 2日に1本! 体調は大丈夫だった?
佐藤:僕は数回風邪ひいたけど、ライヴに支障が出るほどではなかったし、案外大丈夫だったね?
大平:あとは2日酔いの時?「大丈夫かな、ライヴ出来るかな」って(笑)
ー あはは!
大平:でも本番はまったく問題なかったですけどね。
ー それはよかった。
大平:全国ツアーというものを回ってライヴをすることで、音楽そのものと向き合っていたので移動や体調のことは、本当に気にならなかったです。
ー 実際、まわってみてどうでしたか?
大平:「おかえり」と言って迎えてくれたライヴハウスやファンの姿を観ることもできましたし、 場所によってはお客さんの少ない日もありましたけど、ひとつひとつ回っていくにつれてそこからお客さんの輪が繋がってライヴに足を運んでくれる人が増えたりして、今のゴーストノートの音楽が確実に伝わっているんだというのを実感しました。だから色々なものが相乗効果となって手応えを感じながら回れたツアーでした。
ー ツアーファイナルでは怒髪天との2マンでしたが、きっかけは何ですか?
大平:もともと僕らがデビューした当時に、怒髪天の増子さん(増子 直純)がTVの音楽番組の司会をされていて、そこで初めて知り合い、その後対バンをしたことはなかったんですが、僕がよく増子さんに相談のメールをしていたんですよ。
ー どんな相談?
大平:ライヴのことや作品のことが殆どですね。酔っぱらって電話したこともありましたし(笑)。でも、そういう時も増子さんはきちんと返事をしてくださるんですよ!
そういうやり取りが3年位続いて、増子さんも「いつか一緒にライヴやろうぜ!!」って言って下さっていて、今回僕らが1年間ツアーを回って、 地元岡山でのファイナルはやはり大切な日でもあったので、改めてオファーさせていただいたら快くOKしてくださって実現することができました。
ー 実際、怒髪天との2マンはご自身達としてはどうでしたか?
大平:やっぱり素晴らしかったですね!怒髪天は20年以上のキャリアがあるバンドなので、説得力が違うんですよ。曲は勿論良いんですが、ステージ上から放つエネルギーや、トークを間近でみて、単純に音楽ファンとして楽しかったし感動しました。それと同時にバンドとしては学ぶべきところは沢山ありましたが、学ぶだけではなく僕たちが今やれる最高のライヴをやろうという気持ちも強かったので、ガチンコでぶつかれた気もします。
ー 増子さんからは何か言われましたか?
大平:「お前ら絶対いいバンドだから大丈夫だ! お前らみたいな真面目なバンドはいつか勝つから信じて続けろ!」って言ってくれました。あと今回のアルバムにも収録した「まあいっか」という曲をとにかく気に入ってくれたんです。それで「この曲が今後のゴーストノートを左右する!」って言ってくれて。
中村:そうそう!
ー じゃあ、ツアーとしては本当に実り多きものだったんだね。でも、その間、制作をしたいって思ったりはしなかった?
佐藤:デビューして3年位は制作が中心だったので、 いい意味でそういう風には思わなかったですね。曲は大抵、オーちゃん(大平)が作っていて持ち曲としては沢山あるし、そこはあまり気にせず出来ました。
ー じゃあ、ツアー中は曲作りはしなかった?
佐藤:作ったりもしたね。
大平:そうだね。ライヴでのリハと本番の間や、1日オフがある時はホテルで曲を書いたりもしました。でも、ただ今回は制作ばかりをしていた時と違って、ライヴを通じて日々、人との出会いに触発されて曲を書くことが多いので、逆にこれ位ライヴが多くある合間に曲制作をしている方が、自分の気持ちも解き放たれるので制作という意味でも案外順調に進みました。